あやしうこそものぐるほしけれ。

心に浮かびゆくよしなしごと

方向音痴の公式診断書が欲しい

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photo by contemplative imaging

道がわからないんです。

これってちょっとした人間としての能力の欠落なのではないかと思うのです。あるいは退化か。

そこで、「方向音痴診断書」があれば、もう少し不当な誤解から逃れられるのではないかというのが今回の提案の主旨です。

 

たとえば初めての場所では

グーグル先生を頼りにしても、道の複雑に入り組んだところや広すぎる交差点などで立ち往生してしまいます。

さんざん悩んだ挙句に選んだ道がだいたい間違っています。

その昔、といっても数年前までのグーグル先生があまり頼りにならなかった頃は、地図1つだけだと迷うので、拡大した目的地周辺がわかるものと、少し引いて街の全体像が把握できるものと、略図的にまとめられたオリジナルのマップと3種類印刷して徒歩5分なら20分は見積もって出発していました。

 

たとえば住み慣れた街でも

地下鉄の出口を間違えるとどこにいるのかわからなくなったり、近道しようとして3倍くらいの時間を要したりすることがあります。

通ったことない道は未知の世界だし、道を聞かれても十分な説明ができません。

駅から家までの地図を書くように言われても困ります。

 

街は駅から広がっている

よくRPGでマップ上にいくつかの街やダンジョンが表示されていて、クリックするとそれぞれ閉じられた空間に飛ぶじゃないですか。地図に戻らないとたとえ隣の街であっても決して訪れることはできない。

私にとって、駅から広がる街というのはそういうイメージなのです。

駅を中心に徒歩10分圏内で完結している。いや完結していてほしい。

隣の駅にうっかり辿り着いたりすると、世界の淵を超えたような驚きと感動があります。

 

なぜもっと努力しないのかという指摘

私の家族は私以外は方向音痴ではなかったので、道に迷うという話をすると、なぜもっとちゃんと地図を読まないのかとか、最初から諦めていて道を把握しようとする意識が低いとか、とかく根性論を持ち出してくるのですが、自分と同じ物差しで考えないで欲しいと強く抗議したい。

道に迷わないための努力は人一倍してきました。けれども、何年たっても、決して方向感覚というものが養われた感覚はないのです。

 

方向音痴にも診断書がほしい

男性の20人に1人は色弱だといいますよね。

別にそれが著しく生活に支障を来すわけではないけれども、1つの障害として、認知されていて、周りからの努力しろというプレッシャーはもちろんないはずです。

どうしても計算ミスをしやすかったり、どうしても空間をうまく認識できなかったり、こういうのはもっと認知された方が取り扱いも明確になって楽になるのではないか。

むしろ方向音痴の人にはこんな能力があるから、それを活かしてこんなことをしたらいいとか、建設的な話ができたりしないかな?