あやしうこそものぐるほしけれ。

心に浮かびゆくよしなしごと

読書感想文なんてなくなればいいのに。

と、大人になってよく思うようになりました。

ここでいう「読書感想文」というのは、学校で夏休みに400字詰め原稿用紙4枚とかで書く、狭義の意味での読書感想文のことです。

私は読書メーターで500件近いレビューを7年くらい書き続けているけど未だにあの時の読書感想文ってなんだったんだろうと思うのです。

そもそも読書感想文をかかせる意味ってなんでしょうか?

 

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photo by RW Sinclair

 

 

読書の楽しみを知ってもらうため?

もしそれが目的なら、逆効果だと思うのです。

なぜなら読書が勉強の一部のような印象を与えてしまうから。

私が中学の読書感想文で感想を書いて覚えているのは芥川龍之介杜子春 』、ヘミングウェイ老人と海 』くらいでしょうか。

どちらも素晴らしい書籍ですが、中学で読むには少し早い気がしましたし、いや、というよりもこれで感想文を書くのだというある種、邪な気持ちが邪魔をして、本を純粋に楽しめなかったように思います。

たとえば小学6年生の時分に江國香織さんのエッセイを読んで少し背伸びした気持ちになったり、ケルト文化にはまって受験勉強の合間にケルト装飾の専門書を貪るように読んだり、そういう体験が読書の魅力を切り拓くように思うのです。

読書の楽しみを知ってもらうなら、もっと読書を娯楽の1つとして位置付けた方が良いのではないでしょうか。

たとえば、図書室に18禁の棚を作ってそこにラディゲ『肉体の悪魔』や桜庭一樹私の男』を置いて下心むんむんの学生をおびき寄せるとか。

アニメ化やドラマ化した作品という切り口で、カズオ・イシグロわたしを離さないで』や太宰治人間失格』などを紹介し、原作と映画どちらがいいかという不毛な話し合いをするとか。

芥川賞を漫才師の又吉さんが受賞するのもその意味でとても意義のあることだと思います。読書というのは、文字を読んで想像するだけで泣いたり笑ったり手に汗握ったりできる何よりコスパの良い古典的な娯楽なのです。

 

文章力をつけてほしいから?

本の感想を書くということにより文章力をつけさせたいなら、もっと効率良いやり方があるでしょう。

あらすじをかくというのはとてもライティング能力を問う作業だと思うので、たとえば感想なんて書かずにあらすじを書く練習をひたすらするとかどうでしょう。

感想文を評価するってもう何を持って優れているという話なのかわからないし、評価軸が曖昧ですが、あらすじを書き出す力は明確に差が出るし、字数に合わせて言葉を加工するのは一生役に立つスキルだと思います。

あるいは、何か考えを述べるための文章力をつけるなら、もっと身近なテーマを主張にする練習をすると良いと思います。「バレンタインチョコを学校に持ってくるのに賛成か、反対か。その理由と共に述べよ。」とか「好きな芸能人は誰か、どういうところがどんな理由で好きなのか考えてみよう。」とか。その方が余程身近なトピックだし、その世代に合わせた深い議論ができるんではないでしょうか。

 

感受性を磨いてほしいから?

あのよくわからないけど自分の乏しい経験と結びつけて、感じてもいない優等生的な意見を述べるのって心底くだらないとあの頃も今も思います。

私の小学校時代の親友は、読書感想文ではないですが、こういう定型的な感想を押し付けてくる学校教育に反抗して、「私は嘘を書きたくありません」と徹底抗戦していたことを今思い出しました。

それは感受性を磨くという意味では対極に位置する感情の紡ぎ方で、本質的ではないと思います。本当はきっと大人達もわかっていると思うんです。確信犯的な匂いがします。

 

ここまで書いてきて改めて読書感想文のFAQを見てみました。

www.dokusyokansoubun.jp

なぜ読書感想文をかくのかという質問にこう返答されています。

書くことによって考えを深められるからです。読書感想文を書くことを通して思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わからなかったことを解決したりできるのです。ですから読書感想文は「考える読書」ともいわれます。また、どんなに強く心を動かされても、時がたてばその記憶は薄れてしまいます。読書感想文は自分自身の記録です。読み返すことによって、いつでも「感動した自分」に出会うことができるのです。

うーん、もう気持ち悪いくらい優等生的!

 

本の感想を書き留めるのは素晴らしいことだと思う

正反対のことを言うようですが、個人的に本の感想を書き留めておき、さらにそれを発信するのはとても素晴らしいことだと、読書メーターのヘビーユーザーとして思います。

なぜなら読んだ本がどんなだったのか、言葉にしないとすぐに忘れてしまいますし、誰かに感想を伝えることで、その感想を読んだ誰かの新しい本との出逢いを提供できるかもしれません。

実際、私はこれまでにたくさんの未知の本との出逢いを読書メーターから得てきましたし、自身の感想を振り返ることで自分の軌跡を感じることができています。

だからこそ、夏休みの苦しい宿題の記憶がその行為を妨げる要因になってほしくないなぁと切に願うのです。